マイケル・キートンが、彼自身を重ねることができるような、ブロードウェイでの成功を願う初老の男を演じている。

リーガン・トムソンはかつてヒーロー映画の「バードマン」役でスターになった。しかしその後は作品に恵まれず、結婚生活も破綻し、気づけばぱっとしない初老の男になっていた。

再起を決意したリーガンは、無謀にもブロードウェイの舞台で芸術的な作品を作って認められようとする。
レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を舞台化しようとしたのだ。

けれどもそうは話はうまく進まず、実力派俳優のマイクの身勝手さに振り回され、娘のサムともぎくしゃくしてくる。

「パパ現実を見て、しがみつくのは 無視されるのが怖いのよ」

娘からこう言われても何も言い返せない。

やっとのことでこぎつけたプレビュー講演も、マイクの暴走やリーガンの失敗でさんざんな目に合う。

追いつめられたリーガンは、現実と幻想のはざまで「バードマン」の声を聴くようになる。バードマンは、いわばリーガンのオルターエゴであり、かつての栄光を象徴している。しかしブロードウェイで評価されたいリーガンにとっては、バードマンは安っぽい通俗的なヒーローでもあり、自分とは認めがたい存在でもあるようだ。リーガンにとっての本当のあこがれは、レイモンド・カーヴァーなのだろう。

リーガンは、うまくいかないときには「超能力」を使って部屋の中の物をひっくりかえして鬱憤をはらす(友人の視点から見れば、単に部屋でかんしゃくを起こして暴れているだけなのだが)。「超能力」はリーガンの子どもっぽい万能感を表しているように見える。

バードマンの声に抵抗しながらも、リーガンは半分、バードマンに同一化しているわけだ。

「映画スターの栄光を思い出せ」
「お前はバードマンだ。お前は神だ」

といったバードマンの声で、リーガンはついに・・・

といったストーリーの映画。


あたかもノーカットで撮影しているように見えるカメラワークが、独特の浮遊感を表現していて、リーガンの幻想を際立たせていた。