中学生や高校生の頃、朝の髪型が今ひとつきまらなずなかなか出れないとか、街に遊びにいくときの服装がどうもしっくりこなくて何度も着替えた、なんて経験をした人は多いだろう。

「うわ、こんな変な格好、きっと笑われるに違いない」
「浮いてしまうんとちがうか」

などと考えて、いてもたってもいられなくなる。

大人になるとこうした自意識過剰なところはだんだんなくなって、むしろ面の皮が厚くなってくるものだけれど、ズボンに泥が跳ねたとか、犬のうんこを踏んでしまった、なんてときには同じような不安を感じる。

『人の心は読めるか?』(ニコラス・エプリー、早川書房、2015年)を読んでいたら、「バリー・マニロウ実験」について触れられているところがあったので、「そういえばそんな実験、聞いたことがある」と思って調べてみた。

バリー・マニロウ実験

この言葉の元となったのは次の論文だ。

The Spotlight Effect in Social Judgment: An Egocentric Bias in Estimates of the Salience of One's Own Actions and Appearance [pdf]

「社会的判断におけるスポットライト効果:自分自身の行為や外見が目立つことを評価する際の自己中心的なバイアス」

「パーソナリティと社会心理学誌」に2000年に掲載された論文とのこと。

この実験では、被験者となった大学生に「バリー・マニロウ」の顔写真がでかでかとプリントされたTシャツを着て、皆の中に入ってもらうということが試みられた。

バリー・マニロウって?

BARRY MANILOW(1943-)

この方です。1943年生まれのアメリカの歌手ですね。
1970年代にフランク・シナトラから「次に来るのは彼だ」と言われ、1988年のパーティーの際にボブ・ディランから抱擁を受け「あなたがしていることを止めないでくれ。我々はあなたの影響を受けている。」と言われ、アーセニオ・ホールからはトークショーのお気に入りゲストとして挙げられマニロウの作品は賞賛に値すると言われるなど、多くの著名人から高く評価されている。
とWikipediaでは紹介されている。

ということだけれど、2000年に大学生をしていた若者にとっては、バリー・マニロウのTシャツを着るなんて、とても「恥ずかしい」「痛い」こととして捉えられたようだ。日本で言うと、大学生が沢田研二(1948年生まれ)のTシャツ着てあるくようなものか。

マニロウさんにはなんだか失礼な話だけれど(ジュリーにも失礼でしたすいません)、実験は粛々と遂行されたのだった。

被験者となった大学生は、「実験のためにこのTシャツを着て欲しい」とバリー・マニロウTシャツを渡される(「え、まじかよ、これ着るの? でも実験だし・・・単位欲しいし・・・」なんてことを考えたかもしれない)。

そして、被験者は他の参加者が待っている部屋に案内される。

他の人は、誰ひとりとしてバリー・マニロウのTシャツなんて着ていないじゃないか。

(うわー、俺だけだよ。なんでだよ。あ、あの子こっち見て笑った・・・)

なんて焦りながらしばらく待っていると、実験者が現れて

「ごめんごめん。ちょっと手違いがあって、実験は今日のところは中止します。お疲れさまでした」

なんて言うわけだ。

さて、本当の意味での「実験」はここから始まる。

例の大学生は、実験者からこう尋ねられる。

「先ほどの部屋にいた人の中で、あなたのそのTシャツに気づいた人は何人くらいいたと思いますか?」

一方で、部屋にいた参加者たちも、Tシャツにプリントされていた人物は誰だったかを聞かれる。

Tシャツを着ていた人は「きっと部屋にいた人の半分くらいは俺がバリー・マニロウのTシャツなんて着ていたことに気づいたに違いない」と予測したのだけれど、実際にはそれに気づいたのはたった23%に過ぎなかったという。

ようするに、人は自分が心配しているほど、目立っているわけじゃないし、誰もあなたのことなんて(思っている以上に)じろじろ見たりしていないということが実験から証明されたというわけだ。

スポットライト効果

先日、遅刻しそうになって走っていて、近道をしようとロープを颯爽と飛び越えたら足をひっかけてすっころんでしまった。

周りを歩いていた人たちが「アホやあいつ」「かっこ悪い」と笑っているみたいに感じて、えらく恥ずかしかったのを覚えている。

でもバリー・マニロウ実験で明らかになったように、実際は誰もそれほど気にとめていないわけだ。


こうした認知の歪みを、心理学では「スポットライト効果」と言う。「自己中心性バイアス」とも呼ばれている。人間は、実際よりも他人が自分に関心をもっていると、自己中心的に考える傾向があるということだ。

自分が舞台の上でスポットライトを浴びていて、観客の視線を集めているかのように感じてしまうと、そりゃあ自意識過剰で不安にもなるだろう。

自意識の強さを測る

あなたは自意識が強い方? それともあまり周りを気にしない?
心理学者のフェニングスタインが1975年に発表した「自己認識スケール」で測定してみよう。

以下の項目であてはまるものに○をつけてほしい。
  1. 自分のしたことについて反省することが多い
  2. 人が自分をどう思っているのか気になる
  3. 自分の気持ちに注意を向けていることが多い
  4. 人に良い印象を与えているかが気になる
  5. いつも自分のことを理解しようと努力している
  6. 人に自分をどう見せるか関心がある
  7. いつも自分が何をしたいのかを考えている
  8. 自分の外見が気になる
  9. 自分自身の感情の変化に敏感である
  10. 自分の髪型や服装はいつも気にかけている
○の合計が3つ以下だと自己意識は弱い。4〜6は強い。7以上で非常に強いと判定される。

また、
奇数番号の合計が「私的自己意識」(内的な感情を意識する度合い)
偶数番号の合計が「公的自己意識」(外から見た自分を意識する度合い)

というふうに分けることができるそうだ。

*Fenigstein, A., Scheier, M. F., & Buss, A. H. (1975). Public and private self-consciousness: Assessment and theory. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 43(4), 522-527

自意識過剰を克服するには

では、「うわあ、うち、むっちゃ自意識過剰やわ」なんてことが判明したらどうすればいいのだろう。

自意識が強いというのはようするに、自己評価が低い(もしくは安定していない)から、他者の視線や判断に依存して不安になってしまうのだろう。

マザー・テレサは、こんな言葉を遺しているのだそうだ。
もしも私たちが謙虚ならば、ほめられようと、けなされようと、私たちは気にしません。もし誰かが非難しても、がっかりすることはありません。反対に、誰かがほめてくれたとしても、それで自分が偉くなったように思う事もありません。
ほめられようとけなされようと、「他人は他人、私は私」「やるべきことをするだけ」と思えたら楽になるのだろうけれど、なかなか難しいのも事実だろう。

ネガティブな自意識過剰の極端なやつ(過剰の極端って変だけど)は、社会不安障害などと呼ぶことができるかもしれない。


その場合にはたとえば認知行動療法などが適用されることがある。
  1. 社会不安障害では、不安が高まった時に、注意が過度に自分に集中してしまいがちです。そこで、注意をコントロールする方法を練習します。
  2. 社会不安障害の人は、「人からどう思われるか」について、現実以上に過敏な考え方をする癖が付いています。あまり自分をいじめない考え方が出来るように練習します。
  3. このような準備をした上で、実際にそれまで回避していた状況に段階を踏みながら立ち向かって、不安感を克服することを学びます。

結局は、自分ばかり気にせず、「みんなが私に注目している」という間違った認知を修正して、勇気を出して「ありのまま」で一歩踏み出すということだ。

というわけで、みなさんも明日からバリー・マニロウTシャツを着て外出してみましょう。

よかったら最後にバリー・マニロウさんの「コパカバーナ」を聴いていってください。けっこういけてますよ。