ヘンリー・ピンスカー『サポーティヴ・サイコセラピー入門―力動的理解を日常臨床に活かすために』岩崎学術出版社、二〇一一年

読了。


臨床現場では、かならずしもしっかり構造化されたセッティングで心理療法ができるわけではない。むしろ、そうじゃない場面の方が多いのが実際だろう。
サポーティヴ(支持的)とはどういうことかについて、具体的な受け答えを挙げながら丁寧に教えてくれる。




第1章で提示されている「個人サイコセラピーのスペクトラム」において、サポーティヴ・セラピーは次のように位置づけられる。

サポーティヴ関係――カウンセリング――サポーティヴ・セラピー――サポーティヴ-表出的セラp-――表出的-サポーティヴ・セラピー――精神分析

伝統的な立場では、精神分析的(表出的)なアプローチが占める割合が多かったが、本書では逆に、サイコセラピーの大部分は「サポーティヴ・セラピーを基本に据えてなされるべき」だと提唱されている。
引用されているワクテルの言葉がこれをよく表している。

「できうる限りサポーティヴになりなさい。そうしれば必要なときに表出的(あるいは探索的)になれるでしょう」

サポーティヴ・セラピーと表出的なセラピーの技法上の違いについては次のように述べられている。
(サポーティヴ・セラピーの)そのスタイルは対話を中心としている。患者-セラピスト関係は現実の関係であり、通常それは分析されない。防衛は、一般的には不適応でない限り支持される。洞察の獲得は重要な目標ではない。セラピーのあらゆる努力は、欲求不満や不安を最小にするためになされるが、必ずしもすべての不快感を避けることができるわけではない。p.23
サポーティヴ・セラピーの目的は、症状の改善や、セルフ・エスティーム、自我機能、適応スキルの維持、回復、改善である。サポーティヴ・セラピーでは、原則として「感情」ではなく「(対処)行動」が主題となる。
ひとことで言うと、自我=私をしっかりとしたものにする、ということになるだろうか。「序の序として」で北山修先生はこう書いていた。
生きて行くには、内部の中身に触れるよりも、内と外を渡す「私」を強化し充実させることこそ、身を守るものとして重要”で、“内と外の間を確実にしていれば、やがて内側に安心する自己が宿る。

滝川一廣先生が支持的精神療法について書いた文章を思い出したので、本棚から引っ張り出して引用しておく。
私たちの悩みや傷をふだんの生活の中で解いたり癒したりしてくれているものは、大きく分ければ<時間><人><努力>という三つの要素からなっているとわかる。まあ、当たり前といえば当たり前のことに過ぎまいが。そして、支持的心理療法はこのような当たり前な日常の解決のあり方をみずからの方法の基底においている。『新しい思春期像と精神療法』滝川一廣、金剛出版、二〇〇四年、140頁
時間が立てば、少しずつ傷は癒えていくことが多いし、問題もいつのまにかほどけてくることもある。また、誰かに支えられたり、助言を受けたりしながら、本人や周りの人たちが努力することで、事態は改善していくものだ。という意味で、常識=コモンセンスに基づいたアプローチとなる。
話をよく聴く、治療者としての考えやアドヴァイスも伝える、必要に応じて指示も与える、というこのかたちは日常の相談ごとのスタイルで、極端さがなく、その柔軟で自然なあり方がクライエントを支えるのである。がっしりと構造化された橋脚によって橋梁を支えるかわりに、しなったり揺れたりしつつ支える吊り橋にたとえられるかもしれない。『新しい思春期像と精神療法』滝川一廣、金剛出版、二〇〇四年、144頁