フェレンツィの『臨床日記』をめぐって
The American Journal of Psychoanalysis
Volume 75, Issue 1 (March 2015)
Second Special Issue: Sincerity and Freedom London Conference Inspired by Ferenczi's Clinical Diary
http://www.palgrave-journals.com/ajp/journal/v75/n1/index.html
ということで、フェレンツィの『臨床日記』が特集されているようだ。
タイトルとアブストラクトだけナナメヨミして読んだつもりになってみようという趣旨のメモ。
『臨床日記』には、多くの暗号や略語が使われている。“Dm.”がクララ・トンプソンを、“RN”がエリザベス・セバンを指すことなどは明らかになっているが、ほとんどは秘密のままとなっている。そのあたりを探ってみよう、というストーリーらしい。
1993年に『Sandor Ferencziの遺産』という本が出版されたそう。その本では“RN”の事例でフェレンツィが行なったラディカルな実験が取り上げられている。この本の出版から20年経った今、RNは精神分析史で最も重要な患者の一人でありつづけている。というわけで論文の著者はRNについて「探偵」のようにいろいろ調べたということのよう。エリザベス・セバンの娘さんにも会ったと。
このあたりで、『臨床日記』を本棚から探してぱらぱらめくってみた。読み返すのはずいぶんひさしぶりだ。
症例(R.N)は「進行性分裂病」と記されている。幼少期の性的虐待のケースだった。
後の方のページをめくると、「三時間近く続いた相互分析のあと、激しい頭痛が襲った」なんて書かれていた。まあ、大変だったろうなフェレンツィさん。
後、興味を惹かれたタイトルだけメモしておく。
BECOMING A PETER PAN: OMNIPOTENCE, DEPENDENCY AND THE FERENCZIAN CHILD
KLEIN, FERENCZI AND THE CLINICAL DIARY
フェレンツィはクラインの分析家でした。5年くらいだったそう。フェレンツィがクラインに与えたであろう影響は、次の3つ。ひとつは、母子関係における生々しい初期の感情。次に分析的関係における自由と権威について。最後は転移と逆転移感情をどう使うかということ。
LACAN AND FERENCZI: PARADOXICAL KINSHIP?
ラカンは最初はフェレンツィを買っていたらしい。
THE JUNG-FERENCZI DOSSIER
ユングが精神分析から離れた後も、いくつか手紙のやりとりはあったのだと。
『臨床日記』をもう一度丁寧に読み返してみたいと思った。
Volume 75, Issue 1 (March 2015)
Second Special Issue: Sincerity and Freedom London Conference Inspired by Ferenczi's Clinical Diary
http://www.palgrave-journals.com/ajp/journal/v75/n1/index.html
ということで、フェレンツィの『臨床日記』が特集されているようだ。
(Ferenczi Sándor, 1873-1933)
DECODING FERENCZI’S CLINICAL DIARY: BIOGRAPHICAL NOTES
B William Brennan『臨床日記』には、多くの暗号や略語が使われている。“Dm.”がクララ・トンプソンを、“RN”がエリザベス・セバンを指すことなどは明らかになっているが、ほとんどは秘密のままとなっている。そのあたりを探ってみよう、というストーリーらしい。
THWARTING THE PSYCHOANALYTIC DETECTIVES: DEFENDING THE SEVERN LEGACY
Christopher Fortune1993年に『Sandor Ferencziの遺産』という本が出版されたそう。その本では“RN”の事例でフェレンツィが行なったラディカルな実験が取り上げられている。この本の出版から20年経った今、RNは精神分析史で最も重要な患者の一人でありつづけている。というわけで論文の著者はRNについて「探偵」のようにいろいろ調べたということのよう。エリザベス・セバンの娘さんにも会ったと。
このあたりで、『臨床日記』を本棚から探してぱらぱらめくってみた。読み返すのはずいぶんひさしぶりだ。
症例(R.N)は「進行性分裂病」と記されている。幼少期の性的虐待のケースだった。
生きていたくないという願望をもっとも内奥にもちながら、暗示の影響でふつうの学童としての存在が続いていく。この状態で、精神活動が半分鈍ったまま進んだ。言い換えるならば、自分本来の性向と感情が完全に抑圧されたままの人工的な二重生活である。p.11解離的な状態で、学童期を過ごしたということのよう。「進行性分裂病」という診断がどのような病態を指しているのかは不明だが、この時代「ラテントの分裂病」などと呼ばれていたのが境界例水準の患者だったようなので、おそらくこの症例(R.N)もそうではないかと推測される。次のくだりを読んでも。
R.Nは双方向的な分析を要求した。分析家が患者を殺し、苦しめる傾向――私にはそれがあると彼女は受け取っているのだが――から身を守る唯一の方法だと考えたからである。はじめは私の側に強い抵抗があった。そんなことをしたら患者は分析状況をぶち壊してしまうだろう。投影の働きにもとづいている自らの分析を台無しにして、自分自身ではなく私を分析することになってしまうだろう。だが驚くべきことに事態はこれとはちがった経過をたどった。分析家側がとった態度によって、アナリザンドはそれまで(分析家の感じやすさに配慮して)言うのを控えていたことすべてを、もはや礼儀を気にしたり気遣ったりすることなく伝えることができ、以後の「正しい」分析セッションンのなかで、それまで抑えつけられてきた感情のすべてが日の目を見るようになった。患者がいちばん強い印象を受けたのはもちろん、個人的反感および身体的反感をもっていたのを私が認め、それまで過剰な好意的態度を取っていたと告白したことである。p.15フェレンツィに相互分析を要求して、実際にそういう関係になっていった事例が“RN”だった。それは確かに“精神分析史で最も重要な患者の一人”だろう。セラピストの「自己開示」というテーマのいきついたところに「双方向的な分析」があるのかもしれない。
後の方のページをめくると、「三時間近く続いた相互分析のあと、激しい頭痛が襲った」なんて書かれていた。まあ、大変だったろうなフェレンツィさん。
後、興味を惹かれたタイトルだけメモしておく。
BECOMING A PETER PAN: OMNIPOTENCE, DEPENDENCY AND THE FERENCZIAN CHILD
ピーターパンになる:万能感、依存心、フェレンツィ的子ども
KLEIN, FERENCZI AND THE CLINICAL DIARY
クライン、フェレンツィと臨床日記
フェレンツィはクラインの分析家でした。5年くらいだったそう。フェレンツィがクラインに与えたであろう影響は、次の3つ。ひとつは、母子関係における生々しい初期の感情。次に分析的関係における自由と権威について。最後は転移と逆転移感情をどう使うかということ。
LACAN AND FERENCZI: PARADOXICAL KINSHIP?
ラカンとフェレンツィ:パラドキシカルな類似性
ラカンは最初はフェレンツィを買っていたらしい。
THE JUNG-FERENCZI DOSSIER
ユングとフェレンツィの一件書類
ユングが精神分析から離れた後も、いくつか手紙のやりとりはあったのだと。『臨床日記』をもう一度丁寧に読み返してみたいと思った。
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