神話的世界と魂の心理学
心理学史をざっくりと「魂から心へ」という流れで。
以下、覚書。
Lascauxの洞窟壁画
Lascauxの洞窟壁画は15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれたと考えられている。ヒトの心は「今・ここ」ではない「いつか・どこか」を思い浮かべる能力を発展させた。イメージする力や意味を考える能力によって、ヒトは世界を「二重に」捉えるようになったということができるだろう。物理的な環境世界と、それに重なる(あるいはそこから離れた)イメージの世界である。洞窟壁画もまた、ヒトの心が生み出したイメージ世界を表すために描かれたと考えられる。
点のラインとオオツノ鹿
有名なシャーマンと思われる男の絵。ラスコーの洞窟壁画で唯一の人間像だそうだ。鳥のようなとがった顔をした男は、バイソンの前に横たわっている。バイソンの身体には槍が貫通しており、腹からは腸がはみ出している。男は、狩りに失敗してバイソンに殺されたのだろうか。それとも、仕留めたバイソンのスピリットを天に送るための儀礼などを行っているのだろうか。男の隣にある鳥のついた棒は、何らかの儀礼に用いられたものと考えられているようだ。
ラスコーの洞窟壁画を紹介した動画。
ヒトは、どのような目的をもって洞窟壁画を描いたのか。また、その背景にはどんな世界観や動物観を持っていたのか。
という本に、このあたりのことが詳しく記されていた。芸術の起源とされているラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画は、数万年前に突如誕生した。芸術はなぜ必要だったのか? 心のどんな機能が芸術として表現されたのか?
訳者の港千尋さんと中沢新一さんの対談の記録には、こんなふうに書かれている。
『洞窟のなかの心』によれば、壁画は外界のスケッチではなく、脳の中のプロセス(過程)が外在化して岩の上に浮上したもの。そのため壁画には具象的な動物絵、抽象的な模様のほか、人間が動物に変容する図像が洞窟の奥でたびたび見られます。人間の心の深い層には、意識の変容によって人間が動物に生成変化してゆく領域があるそうで、洞窟と人間の心の対応関係が伺えますね。港千尋×中沢新一対談 「ホモサピエンスの起源と未来を探る」
『野生の科学』で「喩」と呼んでいる、二つの意味領域を重ねる心の構造も、人間の認識の根源的な過程であり、まさに洞窟壁画を描いた人達の中で起こっていたと考えられます。
シャーマニズムと世界の仕組み
Yup'ik shaman exorcising evil spirits from a sick boy, Nushagak, Alaska, 1890s.[wikipedia]
アラスカのユピク族のシャーマンが、病気の少年から悪霊を追い出そうとしているところ、との説明がある。どうみてもお前のほうが悪霊だろう、とつっこみたくなるけれども、病いや苦しみといった目に見えない出来事を、演劇的に可視化して取扱い可能なものとするのもシャーマンの仕事だといえる。
シャーマンの治療は、物語を語る、歌や音楽を使う、演劇や儀礼を用いる、集団の力を活用する、といったさまざまな側面をもっている。
現代の心理療法では、精神分析や音楽療法、家族療法、サイコドラマなどはそれぞれ別の流儀ということになっているが、太古から行われていた心の治療は、すでに統合的アプローチだったのだろう。
神話的な世界においては、世界は「この世とあの世」「日常と非日常」「聖と俗」といったように二つの領域から構成されている。シャーマンは、この世とあの世を橋渡しするような役割をもっていた。
シャーマンの治療儀礼が果たす役割について、レヴィ=ストロースは次のように書いている。
治療は、したがって、はじめは感情的な言葉であたえられる状況を思考可能なものにし、肉体が耐えることを拒む苦痛を、精神にとっては受けいれうるものとすることにある。シャーマンの神話が客観的現実に照応しないということは、大したことではない。患者はその神話を信じており、それを信ずる社会の一員である。守護霊と悪霊、超自然的怪物と魔術的動物は、原住民の宇宙観を基礎づける緊密な体系の一部をなしている。患者はそれらを受けいれる。あるいは、より正確には、彼はそれらを疑ったこともない。患者が受けいれないのは、辻褄の合わない気まぐれな苦痛であり、こうした苦痛は、その体系と無縁な要素を構成するけれども、シャーマンは神話に訴えて、すべてが相互に関連しあう全体の中へ、これを置きもどすであろう。神話とは、物語のひとつだ。現代の心理療法には、ナラティブアプローチという流れがある。そもそも、心理療法の源流である精神分析は「お話療法」(talk therapy)と呼ばれていた。医学においても、「根拠に基づいた医療」を補う「ナラティブに基づいた医療」が重視されるようになってきた。
レヴィ=ストロース『構造人類学』荒川幾男他訳、みすず書房、一九七二年
稲生物怪録絵巻
『稲生物怪録(いのうもののけろく、いのうぶっかいろく)』とは、江戸時代の中期(1749年)に、備後三次藩(現在の広島)の藩士だった稲生武太夫(幼名・平太郎)が体験した怪異をとりまとめた物語。肝試しによって妖怪の怒りをかってしまった16歳の平太郎のもとに、30日にわたってさまざまな化け物が出没するという話である。
以前、プシケーというユング心理学の雑誌で、老松先生というユング派の分析家が、この『稲生物怪録』を取り上げていた。平太郎の身に起こったような出来事は、現代であれば統合失調症のような心の病として取り扱われるだろうといった内容だったと記憶している。
精神医学の観点からすれば、幻覚や妄想といった急性精神病状態ということになるのだろうが、世界観が違えば、本人や周りのとらえ方や対処の仕方もまた異なってくる。どちらが正しいというものでもないのだろう。
やっぱり近代心理学に行く前に時間がなくなったので、続きはまた今度。
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