『目の見えない人は世界をどう見ているのか』 (光文社新書)

公開日: 1/04/2016 アート 心理学


新年あけましておめでとうございます。申年ですね。




伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか 』 (光文社新書)
という本を読みました。

新書はしばらく待つと安くなるので古本で買うことが多いのだけれど、Kindle価格だと367円ということだったので、なんとなくぽちっとしてみたわけですが、これがすごく面白かった。

人間が外界から得る情報の8割から9割は、視覚に頼っているといいます。その視覚という感覚がなくなると、身体と世界のかかわりかたはどう変わるのだろうか。「見る」ためにはほんとうに目は必要なのか? そもそも「見る」ってどういうことなのだろう?

アンドリュー・パーカーの『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く 』では、5億年前に生物が「眼」を進化させたことが、その後の生物の種類や行動の多様性を生み出したことが描かれていました。視覚優位なのは人類に始まったことではないのでしょうが、それでも今の人間の生活は他の感覚と比べて視覚に頼ることがずいぶん多いのも事実です。

著者は美学や現代アートが専門のかたとのことで、福祉的な視点とも、心理学的な視点とも違う独自の切り口で、視覚障害者の身体性やコミュニケーションについて迫っているように感じられました。

四本脚の椅子と三本脚の椅子の違い

福祉的な視点だと目が見えないという「障害」に対してどんな支援が必要かといった話になりやすいと思います。もちろんそうした視点も必要ですが、「健常者」と「障害者」の関りを「支援するーされる」という関係だけにしばってしまうのももったいない。お互いが相手の体験している世界に好奇心をもってコミュニケーションすることで、それまで気づかなかったものの見方や感じ方にひらかれるかもしれないのです。

見えない人の感覚から視覚を差し引くと見えない人になるのか? そんなことはまったくなく、「三本脚の椅子だからこその立ち方の論理」があると筆者は言います。
それはいわば、四本脚の椅子と三本脚の椅子の違いのようなものです。もともと脚が四本ある椅子から一本取ってしまったら、その椅子は傾いてしまいます。壊れた、不完全な椅子です。でも、そもそも三本の脚で立っている椅子もある。脚の配置を変えれば、三本でも立てるのです。
三本脚で立っている椅子は、それ自体で完成された椅子です。そして三本脚の椅子ならではの世界との関わり方があります。
見えないからこその意味の生まれ方があるし、ときには見えないという不自由さを逆手にとるような痛快な意味に出会うこともあります。そして、その意味は、見える/見えないに関係なく、言葉でシェアすることができます。そこに生まれるのは、対等で、かつ差異を面白がる関係です。
「対等で、かつ差異を面白がる関係」っていいですね。以前に、全盲のかたに立体的な絵をガイドしてもらう経験をしたことがありますが、目隠しして指先でたどるとたしかに描かれている光景が「見えて」きて、とても面白かったという記憶があります。
見えない人の感覚の使い方を体感していくと、どうも「見る」ということについての私たちの理解の方が、ずいぶんと狭く、柔軟性に欠けたものだったのだ、ということに気づかされます。 

富士山のかたち

「そう言われたらなるほどそうかもしれない」と眼から鱗が落ちるような(というのも視覚的なたとえですね)思いがしたのが、「富士山のかたち」のくだり。見える人が「富士山」と聞いてイメージするのは平面的なかたちで、見えない人のほうが立体的、空間的にイメージしているということ。
見える人にとって、富士山とはまずもって「八の字の末広がり」です。つまり「上が欠けた円すい形」ではなく「上が欠けた三角形」としてイメージしている。平面的なのです。月のような天体についても同様です。見えない人にとって月とはボールのような球体です。では、見える人はどうでしょう。「まんまる」で「盆のような」月、つまり厚みのない円形をイメージするのではないでしょうか。
奥行きのある三次元のものを平面的に二次元化してしまうのが視覚の特徴のひとつとのことで、富士山や月のような大きくて遠くにあるものは、立体感が失われてしまいがちです。浮世絵だとかイラストなどで見るイメージにも、月は「盆のように」描かれています。見える人にとっての富士山や月は、どうしても描かれたイメージに影響されたものとなりがちです。
見えない人、とくに先天的に見えない人は、目の前にある物を視覚でとらえないだけでなく、私たちの文化を構成する視覚イメージをもとらえることがありません。見える人が物を見るときにおのずとそれを通してとらえてしまう、文化的なフィルターから自由なのです。
本書には、見える人と見えない人がともに美術館で絵画を鑑賞する「ソーシャル・ビュー」という試みが紹介されていました。そこで生じるのは、見える人が見えない人を「サポート」して絵画を解説してあげる、といったことではないと著者は言います。見える人と見えない人のあいだの「揺れ動く関係」や「見る」ことの意味の揺らぎなどが起こるコミュニケーションが生じることが、面白いし、お互いにとって意味のあることなのです。

目の見えない人は世界をどう見ているのか 

(ついでに)Kindleからの引用方法

Kindleでハイライトを引いた箇所を後から読んだり、引用したりするにはどうしたらいいのだろうと思って調べたら、Your Highlights というところに保存されているようだった。メモ。
文献として引用する場合には(Kindleには「ページ数」というものがないので)、アマゾンの「中身検索」を利用するか(めんどくさい)、章・節・段落を記しておくという方法があるようでした。

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