ツァイガルニク効果( Zeigarnik effect )とは、達成できずに中途半端に中断されたことの方をより覚えているという現象を表すことばです。 旧ソビエト連邦の心理学者ブルーマ・ツァイガルニク(1901-1988)が、「目標が達成されない行為に関する未完了課題についての記憶は、完了課題についての記憶に比べて想起されやすい」ことを実験的に明らかにしました。 ゲシュタルト心理学者のクルト・レヴィンが、「人は目標に向かって行動するときには緊張するけれど、目標が達成されるとその緊張感は解消される」というようなことを述べていたそうで、ツァイガルニクの実験はこのレヴィンの考えに基づいているようです。 そういえばゲシュタルト療法では「未完了の仕事(unfinished business)」という概念があります。「やり残したこと」「思い残し」「完了していない」といったような意味合いの概念で、そうした出来事は自己の体験として取り入れられていないため、欲求不満や緊張感をいつまでも身体のどこかに保持し続けるというわけです。 セラピーのワークでは、こうした「未完了の仕事」をいまここで感じて、自己のなかに統合するということが行われるわけですね。 「ツァイガルニク効果」の話でした。 最近はどう研究されてるのかなと思って、グーグルスカラーでちょっと調べてみた、という記事です。 観光をあえて未完了に感じさせることによる リピータ創出システムの提案 [pdf] 「見逃した」という体験があると、「また行ってみたい」と感じるらしい。とても全部は回れないディズニーランド的な戦略でしょうか。ちゃんと読んでないけど。 文末詞「の」が記憶に与える影響:相互行為の観点から おや、面白い。 「もう帰るよ」 と 「もう帰るの」 では、文末の一言が違うだけですが、相手に与える印象がちょっと異なるということみたいです。 「よ」だと「まだ帰りたくないが、もう帰ります」といった感じに、先行状況に終止符を告げる心情が表れている。 「の」だと、受け手に心情の落ち着き先をゆだねるような作用がある。 のだそうです。 そう言われるとそうかもしれない。 このように文末に平坦にそえる「の」が出現した場合,メッセージの受け手は未完の意図を手渡されたように感じると推察され,それがぎ...